update
ずいぶんほったらかしにしてしまっていたウェブサイト、久し振りの更新。
ジャージコレクションvol.3、トム・ステールスのベルギーナショナルチャンピオンジャージを掲載。
http://www4.plala.or.jp/fuga_chi/01_collections/03_jersey_collections3/jersey_collections3.html#46
唖然
mas.ciclismoさんのプチニュースより。
http://d.hatena.ne.jp/masciclismo/20080317
まさしく、「唖然」とするしかリアクションが出来ない。なんていったらいいのか、とにかくその検査担当官のスタンスが信じられない。
プロロード選手は“人”ではないと言うことか?じゃあなんなのだ?サイクルロードレース界を牛耳るトップの人らにしてみれば、商品でしかないのか?UCIとASOの結論を見いだそうとする姿勢の見えない泥仕合も相当勝手で、選手とファンを完全に無視したような印象を覚えたけれど、今回のニュースはここ最近のサイクルロードレースにおけるニュースで一番頭に来た。
もし自分に、同じようなコトが起こったら、どうなるのだろう。烈火のごとく怒り、収まりがつかなくなるのか。それともただただ諦め、自分の今ある状況を呪うのか。想像しただけでやりきれない気持ちになる。
こういうのを「胸くそ悪い」というのだろう。吐き気がする。
帰り道に聴いた音楽2
Paul Weller:Frightened
夜、雨の中響くポール・ウェラーの声。
この歌には、いろいろな思い出がある。ばあちゃんが死んでしまった日、実家に帰る夜道でこの歌が響いていた。寂しさとか感謝とか、なにか色々な気持ちをゆっくりと、ほんとうにゆっくりと染み出してくれるような彼の歌声。
そういえば、自分の結婚式でも、この歌をかけたっけ。冒頭にかかるピアノの音、とてもしんみりしてくる。
人の死、そしてお祝い事。対極にあるのに、この曲で思い出される情景。…なんだろう、この歌には、自分の周りにいる人への感謝とか、故郷への想いとか、そういうものを呼び起こさせるものがあるのだろう。自分の将来について悲観的になり、不安ばかり募るような時にも、この歌を良く聴いていたような気がする。
心の素の部分を、すなおに表面に出していく必要がある時、自然と自分はこの曲を聴いていたのかも知れない。そうやって、これからもずっとこの歌を聴き続けていくと思う。
先のことは分からない。でも、ひとつ思っていることがある。もし自分が死んでしまい、葬式が開かれるようなことがあったら、その席でこの歌をかけたい。自分が常に心の中にしまっている、色々なものに対する“恐怖”と、自分なりに向き合うきっかけを与えてくれた歌だから。
パリ〜ニース・第1ステージ
ラスト5kmを録画観戦。
ステージウィナーはクイックステップのステーグマンス。ここでもクイックステップの発射台の選手が勝利。クイックステップの仕上がりは相当良いようだ。
http://www.cyclingnews.com/road/2008/mar08/parisnice08/index.php?id=/photos/2008/mar08/parisnice08/parisnice081/bettiniphoto_0024129_1_full
それにしても写真でも結構感じが出ているけど、ラスト1kmの登り勾配はかなりのものだった。スプリンターのステーグマンスの勝利とはなったけど、ベッティーニやバルベルデのようなアルデンヌクラシックに強いエース級選手がふもとからアタックしたとしたら、集団が完全にぶつ切りになっちゃいそうな感じに見えた。まあ、結果的には上位にスプリンター勢もいることだし、あれくらいの距離・勾配ならスプリントのパワーで押し切れる範囲内ってことなんだろう。
でも、ベッティーニがあの中にいて、そんなに調子が悪くなかったとしたら、絶対にぶっちぎりだったと思うな。
そういえば密かに期待していたベルタニョッリは早々にタイムをロスしていますな…