寝る前に

風呂はいってストレッチして。頭からネガティブな感情が取り払えていないけど、惰性で寝てしまおうと思っていました。が、なんとなく書くだけ書いてから寝ようと思う。
悩みは人それぞれ。自分は今悩んでいる自覚はあまりないのだけれど、結局こうやっていろいろ右往左往する気持ちを書き記しているんだから、悩んでいるのは間違いないだろう。
で、その人それぞれの悩みも、その人その人で真剣に悩んでいれば、各々本当に大変なんだろうと、個人的には思うわけで。以前小さい子が、算数の問題が解けずに悩み、泣き、途方に暮れつつも泣くしかできない様子を見たことがある。それを見ていて思ったのは、結局その繰り返しで悩みはふくらみ、その子は勉強が出来る出来ないにかかわらず勉強そのものを嫌いになるんだろうなあ、ということ。問題が解けずに思い悩んでいるその子の姿は強烈に印象に残っていて、なんていうか、悩みを持っていれば人それぞれつらい状況はあって、悩みの大小を比較したりするのはあまり意味がないのではないか、という思いが生まれた。例えとして適切かどうか分からないけれど、ちょっと例を出してみる。
今の自分よりちょうど2年前の自分のほうがつらい状況下にあった。実際胃がおかしくなって穴が開き、夜は2時3時に目が覚め、眠りにつけないこともあった。ただただつらいだけで日々が過ぎていった。で、今がある。結局その時のつらさは時間が解決した。で、その頃よりきっとだいぶ楽に生活しているはずなのに、そんなことちっとも関係なく今は今でつらい。どんなに頑張っても記憶は薄れていくし、ショッキングな出来事もその影響度については鮮明さがなくなっていってしまう。
少なくとも、胃がおかしくなって日々なにしているのか訳分からないまま一日一日を過ごしていた自分と、算数の問題が解けずに思い悩んでいた子供には大差が無いような気がするんだよね。真剣に悩んでいればそれでとにかくつらいんだ、ということ。程度はあまり問題ではないのかな、と。


ただ、さらに矛盾が生まれる。上の考え方でいくと、大病で日々つらい思いをしている人と算数の問題をとけずに思い悩む子、そしてへらへら生きてきてたまたま問題にぶつかってつらいよう、つらいようと言っている自分が同じように悩んでいるのか?と考えると、そんなことはない。どう考えたって、重い病を抱えた人のほうがつらいだろうし、そこに付随してくる悩みと今現在自分が悩んでいること、その深さについてそれほど差がないとはとてもじゃないけど思えない。
矛盾だらけなんですよ結局自分は。


大体悩みって程度問題なのか?分からん。ああ。分からん。
さて、寝る。