思うこと

ロードレースのウェブサイトとしてはかなり有名なmas.ciclismo(http://masciclismo.web.infoseek.co.jp/)さんのところで、元USPSのフランキー・アンドリューがドーピングをしていたことを告白したというニュースを見た。新しいドーピング問題の話題が尽きる兆しを見せない状況から、このブログ上に自分は「絶句…」と書いたところ、そのmas.ciclismoさんよりコメントを寄せて頂いた。
コメントを頂いたのをきっかけに、今思うことを自分の言葉でメールしたところ、mas.ciclismoさんの特ダネニュース9/13付けの記事に取り上げてもらった。改めて思うのは、自分の考えを自分なりに書き出してみると、自分なりに考え方の整理がつくということ。自分の気持ちを100%文章に表現するのは難しいけれど、それでも書き続けることはとても大切なことだと思った。
せっかくの機会なので記事にして頂いたメールから一部抜粋して、改めて自分の考えを整理したいと思う。


『…… 私自身のブログに「絶句」と書きましたが、やはり個人的なショックの度合いが大きいのかもしれません。自分がつらいとき、ある種支えのようになってくれたこともあった「ただマイヨジョーヌのためでなく」の世界が崩れ落ちていってしまうのでは・・・という恐怖のためかもしれません。
自分は、ライダー・アームストロングへの興味ではなく、まずはアスリート・アームストロング、人間・アームストロングについて興味をもち、そこから連鎖して競技そのものに興味が移っていった経緯があります。その過程を経ているので、「ただマイヨジョーヌのためでなく」についてはやはり特別な思い入れがあるかもしれません。
そのような中で、今回USPSの選手がEPOをしていたとニュースの中に、ランスのプレッシャーがうんぬんかんぬんとあると、「ただマイヨジョーヌのためでなく」で描かれていた「人間・アームストロング」の闘いや葛藤、それをひっくるめた魅力そのものが、幻だったかのように崩れ落ちたりしてしまうようなことがあるのかもしれない、といやな想像をしてしまいます。

自分は今や完全な自転車競技サポーターです。しかし、そもそもは「人間・アームストロング」への興味から始まっています。これからどんなニュースが流れようとも、事実をしっかりと受け止めたいと思います。
どんなニュースが流れても、自分の中できっと変わらないと思うのは、「人間・アームストロング」への強い敬意です。彼はガンと闘い、そして今も闘い続けています。彼がその経緯を書籍で披露したことで、私のように彼から勇気をもらった人が沢山いると思います。その部分については、ねじ曲げようもない事実であるわけですし、これからも自分の中でしっかりと根を張っていくことと思います。その上で、今後仮にランスの周辺でランス自身も含めたドーピング疑惑が深まろうとも、あふれるニュースを出来るだけ客観的に見ていき、時間がかかってもそれを自分なりに消化したいと思います。……』

以上が前述のニュースを受けたことで感じたことを文章にし、送信したメールの一部抜粋。後半部分をmas.ciclismoさんで記事にして頂いている。
今読み返して改めて思うのは、USPSに関わるドーピングニュースがこれからどのように展開していこうと、自分の中にあって一番大切なのはランス・アームストロングが一人の人間としてガンと闘い、そして今もその闘いに身を捧げているという事実なんだということ。仮にドーピング疑惑がランス自身に飛び火するようなことがあっても、人間・アームストロングに自分が敬意を抱く気持ちはなんら変わらないな、と。
メール前半部分で、『「ただマイヨジョーヌのためでなく」で描かれていた……といやな想像をしてしまいます。』と記したけれど、今はあまり不安な気持ちは無いような感覚になってきている。アームストロングに対する自分自身の尊敬の気持ちをこうやって何度か文章化していくうちに、その気持ち自体がより確固たるものになってきたからだ。結局のところ、ドーピング疑惑の事実関係がどうであれ、自分がアームストロングを尊敬しているのは、彼が病魔と闘い、今も闘っているという事実からであり、レースで彼がつかんだ栄光から来る敬意については、あくまでも付属的なものだということだ。


とはいえ、ドーピング疑惑自体に関心が無いわけではない。今話題にしたUSPSのドーピング問題についても、今後注意深くニュースを読んでいきたいと思っている。仮にランスがチームメイトに暗にドーピングを勧めていたという話が事実だとしたら、とても残念だし、自分の中でのアスリート・アームストロングへの敬意は小さくしぼんでいくかもしれない。こればかりは事実関係がはっきりしてからでないと、その時の自分の気持ちがどうなるかなんて分かりはしないんだけれど。
それからこれ以外のドーピング疑惑についても、今後も注意してニュースを追っていきたいと考えている。自分は疑惑の渦中にある人物たちの国の事情やメディア状況などにも疎いし、ドーピングを調べている捜査官でもないから、発表される事実関係を受け止めるしか出来ない。というか、その事実関係をしっかりと受け止め、自分の考え方で処理していくのがファンとしての自分の務めなのかもしれないと思っている。
とにかく、今はこういった各種問題について結論が出るのを待つことしか自分には出来ないが、待っている間にもレースが継続して展開されている以上、純粋にレースを楽しむ心をこれまで以上に大切にしていきたいと思う。


純粋にレースを楽しむと言えば、昨日行われたブエルタ第20ステージで、総合優勝を不動のものとしたヴィノクロフ。優勝が確実となりながらも全力でゴールラインを超える姿にアスリートの持つ誇り、気高き精神力、崇高さを見た気がした。昨日までのブエルタでの彼の走りは、自転車競技の持つすばらしさを身をもって示してくれていたように思う。ステージレースでは、良い日もあればダメな日もあるという。そういう人生における山・谷のようなステージを乗り越えていった先にあった大きな勝利。今年のブエルタには、自分にとって、純粋にレースを楽しむ気持ちを確認できる要素がそこかしこに見られたと感じている。

ドーピング疑惑をきっかけに、問題山積な状況にある今の自転車競技において、選手、スタッフ、メディア、ファンというその周囲に存在するすべての人が成長するチャンスに今あるのだと思いながら、ロードレースを見続けていきたいと、今、改めて思う。