ただ、君を愛してる

すごくすっきりしているというか、分かりやすいというか、気持ちをくみ取りやすい、素直な映画だった。思っていたよりもずっと自分の中にすんなりと入ってくるような映画で、良かった。


ちょっと話がずれるけど、映画館で映画の上映前、「映画が無くてもきっと世界は何も変わりません、でも、寂しいと思いませんか」っていうのを最近よく見る。TOHO系だったかな?あれ、凄く良く分かる気がする。映画って、見終わった人にちょっとでもいいから何か考えることや思うことを作るきっかけを与えていれば、良いんだと思う。もちろん産業として成立しているわけだから、映画の興行でもうけを出すのもとっても大事だし、その周辺でDVDやら音楽やら、衣装やら関係してくるサブカルチャーまで、色々なところに波及して影響の波が伝わっていけば万々歳なんでしょう。まあ、とにもかくにも、いろいろな影響の伝わり方はあり得るわけで。


で、そんな中でもとにかく一番大事なのは、やっぱり見終わった後に何を思うか、だと思う。これが無くなってしまうと寂しいわけで。その意味で、映画を見終わった後の余韻には、特別なものがあるのだな、だから安くないお金を払って見に行く(まあ、今回はDVDで見たけど)。
見終わった後の余韻をちょっと乱すような映画の宣伝や広告は、個人的に嫌だ。その意味で、この映画を見終わった後、映画が公開される頃「最初で最後のキス」としきりに宣伝されていたことに、非常に疑問を感じた。見ながらにして先を推理してしまうようなキーワード、センテンスを宣伝に盛り込むこと、これは興味を駆り立てたりシアターに客を呼ぶことにはつながるかも知れないけれど、見終わった後の余韻=自分の感じたことを自分なりに振り返ること、に対して少なからず影響を与えてしまうのではないかなあと思った。
先を予測しやすいストーリーであれば、それはなおさら。予備知識無くまっさらな気持ちでストーリーにまっすぐぶつかった方が、後に何か大きなものが残るかも知れない。

そういう意味では、宣伝とかあまり見ないで、予備知識無く見た「ニライカナイからの手紙」は凄く良かった、自分にとって。ただ、もちろん予備知識があった方が映画がおもしろくなる場合だって多々ある。
映画の宣伝には、集客を狙うだけじゃない、プラスαを期待したいような気がするのだが、これは無理な話なんだろうか?


脱線しちゃった。まあ、映画の宣伝の流れとかもあって、途中からストーリーの流れが予想付いちゃったわけだけれども、それでも良かった。自分なりに、なるべくそういうのをおいといて、素直に見ていたのが良かったのかな。